どうも、サッカー歴35年以上のオカモン(@okamon55)です。
2020年11月25日、マラドーナが生涯を閉じましたね・・・。
サッカーに詳しくない人でさえ、『マラドーナ』という名前は聞いたことがあるはずです。
マラドーナに憧れてサッカーを始めた人も多いでしょう。
ドリブルが上手ければ”マラドーナみたい”と形容されたに違いありません。
ワールドカップで5人抜きをした映像を見た時の衝撃と興奮は忘れられません
マラドーナ=ドリブルのイメージですね!
そんな輝かしいサッカー人生を送ったアルゼンチンの背番号10番、マラドーナについて調べてみました!
マラドーナって?
アルゼンチンが生んだ世界に誇るスーパースターであり、間違いなくサッカー史に名を残す選手です。
本名 | ディエゴ・アルマンド・マラドーナ |
国籍 | アルゼンチン |
生年月日 | 1960年10月30日 |
身長 | 165cm |
ポジション | FW/MF |
利き足 | 左足 |
選手としての経歴(一部)
選手としてすばらしい実績の持ち主です。
1976年 | アルゼンチン・リーグ最年少デビュー |
1977年 | アルゼンチン代表・歴代最年少デビュー |
1979年 | U-20アルゼンチン代表 FIFAワールドユース選手権優勝・大会最優秀選手 |
1986年 | FIFAワールドカップ優勝 |
1987年 | イタリア・セリエA優勝(ナポリ所属) |
1990年 | イタリア・セリエA優勝(ナポリ所属) FIFAワールドカップ準優勝 |
マラドーナ伝説のプレー
今もなお語り継がれる伝説が2つあります。
1986年FIFAワールドカップ・メキシコ大会 準々決勝イングランド戦
神の手ゴール
アルゼンチンのペースで試合が進みながらも0-0で前半を終え、後半開始6分のできごとです。
相手GKと浮き球を競り合いながら左手ではじいたボールがゴールに吸い込まれました。
主審はマラドーナがヘディングしたと判断して反則を見逃し、ゴールを認めました。
試合後の記者会見でマラドーナは「ゴールはマラドーナの頭が少しと神の手が少しのおかげ」と発言したところから『神の手』という言葉が生まれたのです。
世紀のゴール
神の手によるゴールから4分後に生まれました。
ハーフェーラインから自陣側10mのところでボールを受け取ったマラドーナはそこからドリブルを開始。
そのまま60mを駆け上がって最後はGKまでかわして5人を抜きゴールを決めました。
その後1点を返されましたが、2-1で勝利をものにしました。
神の手、再び?
1990年のFIFAワールドカップ・イタリア大会のグループリーグ、ソビエト連邦戦でのできごとです。
ソビエト連邦のコーナーキックからのシュートをゴールライン上で右手でクリアしましたが、これも主審が見逃し反則になりませんでした。
結果としてグループリーグ敗退の危機にあったチームを救いました。
数々の問題もあった
幼少時から薬物とは深い関係がありました。
1990年から1991年にかけては薬物使用やマフィアとの関係が報道され15ヵ月の出場停止処分を受けます。
また税金の滞納により多額の支払いを税務局から求められます。
それから1994年のFIFAワールドカップ・アメリカ大会ではドーピング検査で禁止薬物が検出され出場停止処分と罰金が科せられます。
現役引退後も薬物依存や不摂生による入退院で健康問題も取りざたされていたのは記憶に新しいところです。
監督としてもワールドカップ出場

2010年のFIFAワールドカップ・南アフリカ大会にはアルゼンチン代表監督として出場しました。
準々決勝のドイツ戦で敗退しましたが、監督が注目を浴びたのも珍しかったのではないでしょうか。
マラドーナとメッシの比較
現在アルゼンチンの背番号10と言えばメッシですが、時代を超えてよく比較されます。
2010年のFIFAワールドカップ・南アフリカ大会では監督と選手という関係で戦いを共にしました。
共通点の多い2人ですが、決定的な違いはワールドカップ優勝の味を知っているか否か、と言われています。
日本でプレーする可能性があった
Jリーグ発足前の1991年には、名古屋グランパスエイトへの加入が内定していたようです。
契約金や年俸合わせて15億円という契約だったとか。
しかしここでも薬物使用疑惑で契約は立ち消えとなりました。
まとめ
スーパースターであるが故に、その一挙手一投足が注目され、グラウンド外では問題も多かったマラドーナですが、それでも愛され続けてきました。
イタリア・セリエAで所属したナポリとは喧嘩別れの形になったものの、サポーターからは『ナポリの王』と呼ばれて愛され、チームもマラドーナの功績を称えて背番号10は永久欠番になっています。
そして何より、マラドーナが亡くなったことでアルゼンチンの大統領は3日間の国喪を発表、「神に最も近い人間」と思われた英雄の死に悲しみが広がっています。
しかしこれまでの輝かしい活躍は、これから先も色あせることはありません。